降下時期の決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:38 UTC 版)
第187空挺連隊は16日以降出撃準備完了していたが、奇襲効果の期待と降下部隊の安全確保という相矛盾する条件と悪天候の前に2度降下決定され、2度延期された。19日夜、地上連携部隊の大同江渡河の目処が付いたため、翌20日、晴天ならば降下の決定がされた。地上連携部隊としては、粛川に米第24師団隷下の英第27旅団が、順川にドジャーズ支隊(戦車1個中隊、騎兵(機械化歩兵)1個大隊基幹)が前進することになった。さらに、韓国第二軍団長劉載興将軍の命により韓国第6師団の順川への突進も同時に進行していた。
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