閻魔堂の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 12:06 UTC 版)
行基は来世に訪れるであろう苦難も知らずに欲望のままに生きる衆生の多さを憂い、阿弥陀仏を7日間唱え続けた。すると閻魔王が現れ、自らの姿を三体の彫刻にせよと告げたので、行基は三体の閻魔王を彫って開眼供養を行った。すると衆生は在家出家を問わず、閻魔像を拝み、多くの人がご利益を受けた。 時代は下って、この閻魔像から「私とともに東国へ行き、民を救え」とのお告げを受けた弘法大師は真言宗の布教のため日光を目指した。その道中、閻魔像が弘法大師を災厄から守ったので、これを縁だと感じた大師は一堂を建立し、閻魔像を安置し、この地に「六道」と名付けた。これが六道閻魔堂の縁起である。 さらに時代は下って元禄(1688年 - 1704年)の頃に日野町(現・二荒町)の森幽可(もり ゆうか)という人物が不思議なご利益を受けたので、8尺の木像を彫った。その木像の中に閻魔像を納めたので、「お腹ごもりの尊像」と呼ばれて信仰を集め、崇拝する者は二世安穏のご利益を得たという。
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