閻魔堂と西方寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 14:37 UTC 版)
閻魔堂も聖徳太子の創建によると伝えられ、古くは大伽藍があったが、兵火にかかって辻堂になった。『摂津名所図会』(1796-98年刊)などに当時の様子が描かれている。もともとは現在の交差点の東南側にあったが、明治中期、道路拡張のために、交差点の北西側にあたる融通念仏宗西方寺の境内に移転した。 西方寺は融通念仏宗の寺院で、山号を暁月山といい、本尊は阿弥陀仏。第二次世界大戦の戦災で焼失したが、戦後に再建された。閻魔堂は国道25号に面して建っており、『摂州合邦辻』ゆかりの地として「玉手之碑」(玉手は『摂州合邦辻』の登場人物)が立つ。
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