関取昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:17 UTC 版)
千葉県船橋市で生まれ、2歳のときに父親を交通事故で失い、母親の手で育てられる。小学生低学年のころから親戚の家の近くにあった阿武松部屋に出入りしており、阿武松部屋が主催する相撲教室である「キッズ阿武松」で相撲を学んだ。こうした幼少期からの縁もあって後年八木ヶ谷は「阿武松部屋の秘蔵っ子」と評されるようになる。船橋市立宮本中学校卒業間際の1999年3月場所に初土俵を踏む。三段目までは順調に昇進したが、三段目で苦労し、2002年9月場所に幕下に上がったものの、1場所で三段目に陥落した。2003年には2場所連続しての休場もあったが、同年11月場所には7戦全勝で三段目優勝を果たし、2004年1月場所において幕下に復帰した。 2006年9月場所には西幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越し、翌11月場所では自己最高位の西幕下筆頭にまで番付を上げたが、2勝5敗と負け越してしまい、関取への昇進は果たせなかった。2007年1月場所と続く3月場所でも負け越し、夏5月場所は東幕下29枚目まで番付を落としたが、その場所では5勝2敗と勝ち越しを果たし、続く7月場所でも4勝3敗と勝ち越し、東幕下15枚目と幕下上位まで再び番付を上げた翌9月場所では6勝1敗の好成績を挙げ、西幕下3枚目まで番付を上げた翌11月場所でも4勝3敗と勝ち越した。そして11月場所後の番付編成会議で十両への昇進が決定し、同時に四股名を本名の「八木ヶ谷」から「若荒雄」と改めた。
※この「関取昇進まで」の解説は、「若荒雄匡也」の解説の一部です。
「関取昇進まで」を含む「若荒雄匡也」の記事については、「若荒雄匡也」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から関取昇進までを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から関取昇進まで を検索
- 関取昇進までのページへのリンク