開拓と設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 07:03 UTC 版)
「スーシティ (アイオワ州)」の記事における「開拓と設立」の解説
フランス系カナダ人の毛皮交易業者セオファイル・ブルギエが、スーシティとなった土地に最初に入った白人開拓者だと考えられている。ある伝説に拠れば、ブルギエは友人であるヤンクトン・スー族のワンブリ・オキサイズ(ウォーイーグル)酋長に高い崖近くで2つの川が合流する肥沃な土地に関する夢を語った。ウォーイーグル酋長はビッグスー川河口近くにそのような土地を知っていると告げた。ブルギエはアメリカ毛皮会社の代理人として、ダコタ準州のピエール砦とミズーリ州のセントルイスの間を何度も旅する間に、既にその場所を通ったことがあった。1849年、ブルギエはまさにその土地に自分の農場を設立した。この農場にはウォーイーグル酋長の家族が使うウィグワムやティピーがあった。ブルギエは東はビッグスー川河口からミズーリ川に沿ってフロイド川近くまでの土地全ての所有権を主張した。1852年、ブルギエは東はペリー・クリークからフロイド川までの土地を ジョセフ・レオーネ に売却した。その頃ブルギエはカウンシルブラフ(当時はケインズビル)の毛皮交易用具商、ジェイムズ・A・ジャクソンに上流に来て交易基地を設立するよう奨励していた。ジャクソンはその義父である ジョン・K・クック博士 に未来の都市としてその地域の可能性を説いた。イギリス生まれでオックスフォード大学で教育を受けた医者であるクックは辺境での測量士に転身していたが、ビッグスー川とフロイド川がミズーリ川に注ぐ土地に大変に感銘を受けた。クックはアメリカ合衆国連邦政府の測量士としての公的役職を活かし、1854年にスーシティという小さな町を設立し、街区や通りを仕切った。中心街となった土地の多くを所有していたジョセフ・レオーネはそれを激しい価格交渉の末に、クック博士に3,000ドルで売却した。それから3年以内に町の人口は400人となり、市制を布いた。
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