門中墓の一例とは? わかりやすく解説

門中墓の一例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:35 UTC 版)

門中」の記事における「門中墓の一例」の解説

日本最大の墓といわれている、「幸地腹(こうちばら)門中の墓」(糸満市)である。当門中一族は、平成24年現在3436人(門中名簿登録者)を擁しており、一族のほぼ全員共同となっている。17世紀半ばには、それまでの墓が狭くなっていたことから、1684年現在地築造された。当初亀甲墓であったが、昭和10年琉球石灰岩積み上げて造った現在の破風墓となった墓地面積は5400平方メートルで、中央に本墓、前に四つの仮墓、東側子供墓が配置されている。本墓内部は、右側奥部が当門中納骨エリア(池と呼ばれている)となっており、左側当初長女嫁ぎ先門中(赤比儀腹門中)の池となっている。現代的にいえば[納骨堂]だが、碑名その他はない。 本墓(ト-シー)と仮墓(シルヒラシ)があるのは、死去するとまず仮墓に葬られ3年後洗骨をして本墓内に安置するからである。80歳以上のものや、門中功労のあったものは、直接本墓に葬られる。現在、幸地門中だけで毎年30-35体程が納骨されており、これまで5000体弱が納骨されていると推算される門中墓の運営管理宗家役員中心になって行うが、その費用構成員家族人数分担金家族単位行事分担金によって賄われる一家族あたりの負担金年間5千円程度で、構成員一門伝統行事正月お盆清明祭(シーミー)などに参加できる構成員であれば宗教宗派にはとらわれない。 「ある古老口癖は『お前たち世の中恥じるようなことをすれば、お墓入ってからご先祖様しかられるぞ』というが、門中の人たちの素朴な死生観示していて興味深い。」(日経マスターズクラブ・上原盛毅通信員2005.07.14)というように、同じ墓に入る仲間意識強固なものがある。 18世紀末から19世紀初頭に、ヨーロッパ人初め琉球着いたとき、「武器のない国」「礼節を守る国」以外にもっとも彼らに深い印象与えたのは住んでいる家よりも綺麗な琉球白い墓」だった。

※この「門中墓の一例」の解説は、「門中」の解説の一部です。
「門中墓の一例」を含む「門中」の記事については、「門中」の概要を参照ください。

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