門下生父兄との信頼関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:08 UTC 版)
門下生の父兄は真木保臣を深く信頼しており,命名までお願いしている。大鳥居菅吉の信任、淵上祐二郎の祐之、淵上郁太郎の祐廣、淵上謙三の祐利、榮三郎の磐靭、根三郎の忠篤、謙次の貞恒、舎人の敏功などがある。また、淵上兄弟や角照三郎など遠方まで出向く際、その父兄は真木保臣に意見を聞いたうえで許諾している。 門下生のうち,淵上祐二郎(淵上郁太郎・謙三の兄)は嘉永6年(1853年)2月26日に肥後に赴き,鳩野宗巴に医術を学び,翌安政元年3月24日には東都に遊学し會澤伯民正志斎に学ぶ。後に京都で遊学するも安政2年6月に病に冒される。医者の弟淵上郁太郎が上京し看病するも病死。遺体は現地に葬り,遺髪を持ち帰り来迎寺に埋める。その際、真木保臣は密かに山梔窩を抜け出し,祐二郎父の淵上祐吉を慰め,来迎寺に詣でその墓に拝した。
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