長梯子の計と火計とは? わかりやすく解説

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長梯子の計と火計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 03:29 UTC 版)

千早城の戦い」の記事における「長梯子の計と火計」の解説

包囲軍の持久戦に対して同年3月4日鎌倉より「戦をせずにただ時を過ごすとは何事か。すぐに城を攻略せよ」と厳し下知届き将士督励することになった。 そこで包囲軍の諸将らは相談し味方戦線である近くの山より城壁掛けて一気攻め上る計画立てた。京より大工500余人呼び集められ、五、六寸(約15、16cm)や八、九寸(約24、27cm)の材木集め広さ一丈五尺(約4.8m)、長さ20丈余(約66m以上)の造った完成後、大縄二、三千本結び付けたのち、車木滑車か)を用いて巻き上げ、城の崖に倒してけ、兵たち5、6千人城内向かって殺到した楠木正成かねてより用意していた松明に火をつけて、積み上げるように投げ水鉄砲中に油を入れて注いだ城内にたどり着こうとしていた兵は後ろ下がろうとしても後陣続いており、飛び降りようにも谷深く、もたもたしていると谷風煽られた火により中ほどより折れ数千人がとともに猛火落ち重なって焼死した、と『太平記』記している。『太平記』以外の史料に「長梯子の計」の記述が無いことから信憑性疑問があるが、本丸北側渓谷は谷が深く北谷川上流風呂谷には「懸橋」という地名残っていることから、『千早赤坂史跡』によると「太平記には誇張はあるにしても実際に実行されたと考えられる」としている。

※この「長梯子の計と火計」の解説は、「千早城の戦い」の解説の一部です。
「長梯子の計と火計」を含む「千早城の戦い」の記事については、「千早城の戦い」の概要を参照ください。

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