長征に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:31 UTC 版)
同年4月、林伯渠は国民革命軍第6軍党代表兼政治部主任に任ぜられ、軍内で共産党の組織を確立している。10月、第6軍に従って南昌へ進軍した。1927年(民国16年)3月、国民党2期3中全会で政治委員会委員と軍事委員会秘書長に選出されている。4月には、江西省政府委員に任命された。8月、南昌起義に参加し、中国国民党革命委員会(後の民主党派とは別)委員兼財政委員会主席を称している。 南昌起義はまもなく失敗に終わり、1928年(民国17年)夏、林伯渠はソビエト連邦へ赴き、秋にモスクワ中山大学中国問題研究院に入学した。1930年夏に卒業し、ウラジオストクで極東労働者レーニン主義学校で教員となった。1932年秋に上海に戻り、1933年(民国22年)3月に江西中央ソビエト区に入る。ここでは、中華ソビエト共和国臨時中央政府国民経済部部長に任ぜられ、後に財政部長に移った。1934年(民国23年)1月、中国共産党6期5中全会で中央審計委員に選出される。同年10月より林は長征に参加し、延安到達後の1935年(民国24年)10月、中華ソビエト共和国西北弁事処財政部部長(主席)に任命された。
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