長征をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 17:34 UTC 版)
長征開始はもはや避け得ないとして、張国燾は長征そのものには反対していない。しかし北進を主張する党首脳部に対し張は南進・根拠地建設を主張、遵義会議で決定された毛沢東路線の選択および毛沢東の指導権の確立に対しても反対した。この対立は、朱徳・劉伯承らの戦略的観点による南進による根拠地の再確立と任弼時・賀龍らの戦術的観点による北部への転進の論争でもあった。 結果として一部の部隊が南進するものの強力な国民党勢力に阻まれることになり北進に転ずることになるが、張の主張通り一致して南下すれば或いは果たして貴州・広西・広東を掌握できていただろうか疑問は残る。また、その代償として甘粛・陝西を失った可能性は否定できないであろう。
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