長岡・福島 閻魔堂時代(文政十年三月~ 30歳~44歳)
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「貞心尼」の記事における「長岡・福島 閻魔堂時代(文政十年三月~ 30歳~44歳)」の解説
上杉艸庵が智譲尼から聴いた話に、こうある。 又福島時代を思っては『福島、稲葉には、勧進(物乞い)に出る者が多かった。わしが托鉢に出るとその後に婆さん達が二三人もついてくる。そうして出ると貰いが沢山あるので、婆さん達はすかさず私の後え廻る。そして私が長岡の荒屋敷(貞心尼実家奥村家)へ廻って点心(昼食)をすまして帰る頃は、婆さん達はとうに帰っていた』と言はれた。 — 上杉艸庵 、「貞心雑考」中村昭三編『貞心尼考』1995, p. 146 そして二十八歳(?)の時に師の許を離れて古志郡福嶋村の閻魔堂に住むことになった。福嶋は彼女の郷里長岡からは僅かに二里を隔てたところであるから、彼女がそこに住むようになったのも郷里に近いということが一つの原因でもあったとおもう。この福嶋の閻魔堂に貞心尼は十余年間住んでいた。年齡からいうと二十七八歳頃から四十歳前後までである。しかもその十余年間が貞心尼にとりては一生涯中での最意義あり、かつ最光輝ある時代であった。彼女が初めて良寛和尚に見えたのも、両者の間に世にも稀なる美しい交りの結ばれたのも、又彼女が良寛和尚の死に遭ったのも、実にその間のことだったからである。 — 相馬御風 、「良寛に愛された尼貞心」『貞心と千代と蓮月』1930, pp. 22~23
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