長尾郁子の登場とは? わかりやすく解説

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長尾郁子の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 09:28 UTC 版)

千里眼事件」の記事における「長尾郁子の登場」の解説

長尾郁子は、香川県丸亀判事であった長尾与吉夫人であり、当時40歳であった郁子場合、その数年前から災害等予言的中するということ身近なたちから注目されるようになったという。それが、千鶴子一連の報道知ったことで、同様の実験行なったところ、見事に的中したということで、福来の耳に郁子情報が入ることとなったのである福来今村郁子に対して初め実験行なったのは1910年11月12日のことである。郁子場合千鶴子との最大相違点は、同席者と相対した位置透視行い的中させた点である。さらに、実験方法においても、千鶴子場合とは異なった手段用いられた。それが、福来考案した現像前の乾板用いるというもの、いわゆる念写実験始まりである。福来千鶴子に対して同様の実験試みたが、不成功終わった郁子場合は、福来のあらかじめ示してあった文字念写することに成功したため、福来らはもっぱら丸亀において郁子実験中心に活動することとなる。 1911年1月4日から、物理学者東京帝国大学元総長の山川健次郎同席した透視念写実験が、丸亀長尾宅で行なわれた。8日には、助手として参加した東京帝国大学物理学教室講師教篤が、実験物である乾板入れ忘れという事件が起きている。山川からは、長尾側が透視する文字を書く場所に特定の部屋要求したり(山川がその部屋で体を盾にして書いた文字長尾透視できなかった)、山川側が一度開ければわかるように細工しておいた透視用の封筒開封の跡が発見されるなど、不審な点あまりにも多いことが指摘された。山川らの実験一つ一つ意味を持っており、透視当たった時と当たらなかった時はどのような条件であったかがわかるように計画立てていた。こうして透視当たった時は、全て袖で隠さず書いた時か、封を空けた跡が見られた時など、前述のような不審な点見受けられたときだけであったまた、同年1月12日実験でも妨害行為があったことが報じられ、その妨害者として、長尾家投宿し郁子とも親密であった催眠術師横瀬琢之の名が挙がる及んで郁子横瀬不倫疑惑というゴシップへと世間関心移ってしまい、やはり、肝心の「千里眼」「念写」の真偽二の次になってしまった。そうして、同年2月26日長尾郁子病死。だが、これさえもマスコミ長尾家への非難材料として取り扱った山川らは、同年のうちに写真添えて物理実験結果同様に公表し手品一つに過ぎない結論付けた

※この「長尾郁子の登場」の解説は、「千里眼事件」の解説の一部です。
「長尾郁子の登場」を含む「千里眼事件」の記事については、「千里眼事件」の概要を参照ください。

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