長塚古墳 (可児市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/10 20:41 UTC 版)
長塚古墳 | |
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![]() 墳丘(左に前方部、右に後円部) |
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所属 | 前波古墳群 |
所在地 | 岐阜県可児市中恵土1990ほか(字野中) |
位置 | 北緯35度25分51.55秒 東経137度4分6.95秒 / 北緯35.4309861度 東経137.0685972度座標: 北緯35度25分51.55秒 東経137度4分6.95秒 / 北緯35.4309861度 東経137.0685972度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長72m 高さ6.9m(後円部) |
埋葬施設 | 後円部:粘土槨 前方部:木棺直葬 |
出土品 | 銅鏡・石釧・玉類・土師器 |
築造時期 | 4世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「長塚古墳」 |
地図 |
長塚古墳(ながつかこふん)は、岐阜県可児市中恵土(なかえど)にある古墳。形状は前方後円墳。前波古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
西寺山古墳(可児市指定史跡)・野中古墳とともに「前波の三ツ塚(まえなみのみつつか)」と総称される。
概要
古墳名 | 墳丘 | 埋葬施設 | 築造時期 | 史跡指定 |
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西寺山古墳 | 前方後方墳 | 竪穴式石室? | 4c中葉 | 可児市指定史跡 |
野中古墳 | 前方後円墳 | 竪穴式石室2基 | 4c中葉 | なし |
長塚古墳 | 前方後円墳 | 粘土槨・木棺直葬 | 4c後半 | 国の史跡 |
岐阜県南部、木曽川・可児川の間の標高100メートル前後の中位河岸段丘の南縁に築造された古墳である。1995-1997年度(平成7-9年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘は2段築成で、大部分は盛土により、墳丘裾部では地山を削り出して構築される[1]。墳丘長は72メートルを測り、可児市内の古墳では最大規模になる。墳丘外表では葺石・埴輪は確認されておらず、基壇や造出も認められていない。また墳丘周囲には盾形の浅い周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては約120メートルにおよぶ[1]。埋葬施設は、後円部における粘土槨と前方部における木棺直葬の各1基である。後円部粘土槨は未調査のため明らかでないが、前方部木棺からは副葬品として銅鏡・石釧・管玉・丸玉・小玉が出土している。
築造時期は、古墳時代前期の4世紀後半頃と推定される[2]。東美濃地方を代表する前方後円墳であり、一帯では西寺山古墳・野中古墳に後続する時期の首長墓に位置づけられる。
古墳域は1956年(昭和31年)に国の史跡に指定されている[3]。
遺跡歴
- 1889年(明治22年)以前の字絵図に記載[1]。
- 1956年(昭和31年)5月15日、国の史跡に指定[3]。
- 1960年(昭和35年)、測量調査(名古屋大学)[1]。
- 1986年(昭和61年)、測量調査(可児市教育委員会)[1]。
- 1995-1997年度(平成7-9年度)、史跡整備のための発掘調査:第1-3次調査(可児市教育委員会、1997年に概要報告・1999年に本報告)。
- 2003年(平成15年)8月27日、史跡範囲の追加指定[3]。
- 2004年(平成16年)、南側試掘調査:第4次調査(可児市教育委員会、2006年に報告)。
墳丘
墳丘の規模は次の通り[1]。
- 古墳総長:東西約120メートル、南北約56メートル - 周溝を含めた全長。
- 墳丘長:72.0メートル
- 後円部
- 直径:38.4メートル
- 高さ:6.9メートル
- くびれ部
- 幅:18.5メートル
- 前方部
- 長さ:35.8メートル
- 幅:28.5メートル
- 高さ:4.7メートル
埋葬施設
埋葬施設としては、後円部上において粘土槨が、前方部上において木棺直葬が認められている。
後円部の粘土槨は、後円部中央に位置する。粘土槨を納める墓壙は、墳丘主軸に平行して羽子板形を呈し、長さ7.4メートル・幅最大2.0メートルを測る。前方部方向に開口し、開口部の底面には排水溝を設ける。通路部分は墓道や粘土槨構築作業路として機能したとみられ、埋葬後に石で閉塞するとともに埋め戻され、後円部頂への斜道が造成される。粘土槨は未調査のため明らかでないが、粘土表面には竪杵による無数の敲打痕跡が、粘土槨付近には柱穴が認められている。また墓壙埋土からは土師器(廻間III式新段階-松河戸I式古段階)が出土している[1]。
前方部の木棺は、前方部墳頂に位置する。木棺を納める墓壙は、墳丘主軸に平行する長方形を呈し、長さ7.2メートル・幅4.8メートル・深さ約1.3メートルを測る。木棺の断面形はU字形で、割竹形木棺か舟形木棺とみられ、木棺の復元規模は長さ4.9メートル・幅0.6メートルを測る。棺床部分では全面に赤色顔料が認められており、中心寄りの位置で銅鏡1面・石釧1点・管玉16個・丸玉35個・小玉578個が出土している[1]。
出土品
発掘調査で埋葬施設から出土した副葬品は次の通り[1]。
- 後円部粘土槨出土
-
- 土師器 - 墓壙埋土出土。廻間III式新段階-松河戸I式古段階。
- 前方部木棺出土
-
- 青銅製捩文鏡 1
- 緑色凝灰岩製石釧 1
- 緑色凝灰岩製管玉・碧玉製管玉 16
- 琥珀製丸玉 35
- ガラス製小玉 578
-
仿製捩文鏡
-
小型器台
文化財
国の史跡
- 長塚古墳 - 1956年(昭和31年)5月15日指定、2003年(平成15年)8月27日に史跡範囲の追加指定[3]。
現地情報
- 関連施設
-
- 可児郷土歴史館(可児市久々利) - 長塚古墳の出土品を展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(可児市教育委員会、2014年設置)
- 「国史跡 長塚古墳」 (PDF) (長塚古墳パンフレット) - リンクは可児市ホームページ。
- 地方自治体発行
- 『前波の三ツ塚 -国指定史跡長塚古墳整備事業に伴う発掘調査報告書-』可児市教育委員会〈可児市埋文調査報告34〉、1999年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 『可児市の古墳ガイドブック』可児市教育委員会、2017年。
- 『史跡長塚古墳 保存活用計画』可児市教育委員会、2018年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 事典類
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 調査報告
- 『国指定史跡 長塚古墳発掘調査概要報告書』可児市教育委員会、1997年。
- 「長塚古墳(4次)」『可児市市内遺跡発掘調査報告書 平成12-16年度』可児市教育委員会〈可児市埋文調査報告36〉、2006年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- その他
- 『可児町郷土史』可児町郷土史刊行会、1960年。
- 『岐阜県史』 通史編 原始、岐阜県、1972年。
- 『特別展 前波の三ツ塚とその前後』可児郷土歴史館、2000年。
- 『可児市史』 第1巻(通史編 考古・文化財)、可児市、2005年。
外部リンク
- 長塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 長塚古墳 - 岐阜県ホームページ
- 前波の三ツ塚(国史跡長塚古墳、市史跡西寺山古墳、野中古墳)、【古墳めぐり】 次郎兵衛塚1号墳、長塚古墳、熊野古墳、羽崎中洞横穴墓 > 長塚古墳 - 可児市ホームページ
- 長塚古墳_(可児市)のページへのリンク