野中古墳_(可児市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野中古墳_(可児市)の意味・解説 

野中古墳 (可児市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/07 02:40 UTC 版)

野中古墳

残存墳丘
所属 前波古墳群
所在地 岐阜県可児市中恵土1977ほか(字野中)
位置 北緯35度25分49.40秒 東経137度4分1.30秒 / 北緯35.4303889度 東経137.0670278度 / 35.4303889; 137.0670278座標: 北緯35度25分49.40秒 東経137度4分1.30秒 / 北緯35.4303889度 東経137.0670278度 / 35.4303889; 137.0670278
形状 前方後円墳
規模 墳丘長62m
高さ7m(後円部)
埋葬施設 竪穴式石室2基
出土品 銅鏡、(伝)鉄刀・鉄剣
築造時期 4世紀中葉
史跡 なし
有形文化財 三角縁三神三獣鏡(可児市指定文化財)
地図
野中古墳
テンプレートを表示
750 m
野中古墳
古墳分布図

野中古墳(のなかこふん)は、岐阜県可児市中恵土(なかえど)にある古墳。形状は前方後円墳。前波古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。出土三角縁三神三獣鏡は可児市指定重要文化財に指定されている。

長塚古墳(国の史跡)・西寺山古墳(可児市指定史跡)とともに「前波の三ツ塚(まえなみのみつつか)」と総称される。

概要

前波古墳群(前波の三ツ塚)
古墳名 墳丘 埋葬施設 築造時期 史跡指定
西寺山古墳 前方後方墳 竪穴式石室? 4c中葉 可児市指定史跡
野中古墳 前方後円墳 竪穴式石室2基 4c中葉 なし
長塚古墳 前方後円墳 粘土槨・木棺直葬 4c後半 国の史跡

岐阜県南部、木曽川可児川の間の標高100メートル前後の中位河岸段丘の南縁に築造された古墳である[1]1891年明治24年)・1944年昭和19年)に石室が発見されているほか、現在までに墳丘は大きく破壊されて墳丘北西部の3分の1程度のみが残存し、19971998年平成9・10年)に部分的な発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘は2段築成で、1段目は地山の削り出しにより、2段目は盛土によって構築される[1]。墳丘外表では川原石による葺石が認められるが、埴輪は認められない[2]。墳端の葺石基底石の外側の平坦面には、幅3メートルの帯状に小礫敷きが巡らされ、礫敷の基壇状施設を呈する[2]。また基壇状施設周囲には狭い周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は後円部における竪穴式石室(竪穴式石槨)2基で、1基からは三角縁神獣鏡が、他の1基からは刀剣8振が出土している。

築造時期は、古墳時代前期の4世紀中葉頃と推定され[1]、西寺山古墳に後続して長塚古墳に先行する時期の首長墓に位置づけられる。

出土三角縁三神三獣鏡は可児市指定重要文化財に指定されている。

遺跡歴

  • 1891年明治24年)、濃尾地震の際に後円部中央で竪穴式石室の発見、刀剣の出土[3]
  • 1944年昭和19年)、県道拡張工事に伴う土砂採取の際に別の竪穴式石室の発見、三角縁神獣鏡の出土[4][2]
  • 1982年(昭和57年)、測量調査(可児市教育委員会)[2]
  • 19971998年平成9・10年)、部分的トレンチ調査・地中レーダー探査:第1-3次調査(可児市教育委員会、1999年に報告)[5][2]

墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:約62メートル
  • 後円部
    • 直径:約38メートル
    • 高さ:推定7メートル[3]
  • 前方部
    • 幅:約24メートル[1]
    • 高さ:約4メートル[3]

埋葬施設

埋葬施設としては、後円部墳丘上において竪穴式石室(竪穴式石槨)2基が構築されている。

1基は、後円部中央に位置し、明治24年の濃尾地震の際に発見された。『可児町郷土史』によれば、割石積みで、内法長7尺(約2.1メートル)・幅2尺5寸(約0.75メートル)・高さ3尺5寸(1.06メートル)を測った。天井石は6枚。石室内は粘土床で、遺体は「朱粉」で包んだとみられる。石室内からは刀剣8振が出土したという[2]

他の1基は、中央石室のやや西寄りに位置し、昭和19年の県道拡張工事に伴う土砂採取工事の際に発見された。『可児町郷土史』によれば、中央石室同様の割石積みで、天井石は7枚。石室内からは三角縁神獣鏡が出土している[2]

出土品

三角縁三神三獣鏡
(可児市指定文化財)
可児郷土歴史館展示。

古墳からの出土品は次の通り。

  • 仿製三角縁三神三獣鏡 - 西石室出土。直径21.5センチメートル[3]。絹布に包まれて副葬されたとみられる。同笵鏡(同型鏡)は大阪府紫金山古墳・大分県免ヶ平古墳の出土鏡など9面が知られる[2]。可児市指定重要文化財。
  • 鉄刀・鉄剣 8 - 中央石室出土。所在不明。

文化財

可児市指定文化財

  • 重要文化財(有形文化財)
    • 三角縁三神三獣鏡 - 可児郷土歴史館保管。

関連施設

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『可児町郷土史』可児町郷土史刊行会、1960年。 
  • 『岐阜県史』 通史編 原始、岐阜県、1972年。 
  • 『特別展 前波の三ツ塚とその前後』可児郷土歴史館、2000年。 
  • 『可児市史』 第1巻(通史編 考古・文化財)、可児市、2005年。 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  野中古墳_(可児市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野中古墳_(可児市)」の関連用語

野中古墳_(可児市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野中古墳_(可児市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野中古墳 (可児市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS