熊野古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/04 01:22 UTC 版)
熊野古墳 | |
---|---|
![]() 墳丘・石室開口部 |
|
所在地 | 岐阜県可児市広見979(字熊野) |
位置 | 北緯35度25分12.60秒 東経137度4分4.57秒 / 北緯35.4201667度 東経137.0679361度座標: 北緯35度25分12.60秒 東経137度4分4.57秒 / 北緯35.4201667度 東経137.0679361度 |
形状 | 円墳または方墳 |
規模 | 直径/一辺30m 高さ5m |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
出土品 | 金銅装大刀・直刀・鉄鏃・刀子・須恵器・土師器 |
築造時期 | 7世紀前半 |
史跡 | 岐阜県指定史跡「熊野古墳」 |
地図 |
熊野古墳(くまのこふん)は、岐阜県可児市広見にある古墳。形状は円墳または方墳。岐阜県指定史跡に指定されている。
概要
岐阜県南部、可児川・久々利川に挟まれて東西に延びる丘陵の西端裾の平地に築造された古墳である。かつて墳丘上には熊野神社が祀られており、「熊野古墳」の古墳名はそれに由来する。現在までに墳丘上部は流失して石室天井石が露出する。1988年(昭和63年)・1999年(平成11年)に発掘調査が実施されている。
墳形は明らかでなく、従来は推定復元で直径30メートル・高さ約5メートルの円墳とされたが、近年では方墳の可能性が指摘される[1]。現在の残存墳丘は、南北約17メートル・東西約16メートル・高さ約3.5メートルを測る[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室全長13.3メートル以上を測る大型石室で、可児市内では川合次郎兵衛塚1号墳(可児市川合)主室に次ぐ規模で、天井石には巨石の一枚石を使用する。石室内の調査では、副葬品として金銅装大刀・直刀・鉄鏃・刀子・須恵器・土師器が出土している。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[1]。可児市域では最後の首長墓として重要視される古墳になる。
古墳域は1957年(昭和32年)に岐阜県指定史跡に指定されている。
遺跡歴

(伐採前、2018年)
- 1957年(昭和32年)3月25日、岐阜県指定史跡に指定。
- 1988年(昭和63年)、道路改良工事に伴う範囲確認調査:第1次調査(可児市教育委員会、1989年に報告)。
- 1999年(平成11年)、発掘調査:第2次調査(可児市教育委員会、2000年に報告)[2]。
埋葬施設
埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:現存13.32メートル
- 玄室:長さ4.49メートル、幅最大2.10メートル、高さ最高3.84メートル
石室の石材は角礫で、ほとんどは古墳周辺産出の砂岩で、天井石2枚と側壁の一部に石英斑岩・花崗岩が使用される[2]。
出土品
石室内の調査で出土した主な副葬品は次の通り[1]。
文化財
岐阜県指定文化財
- 史跡
- 熊野古墳 - 1957年(昭和32年)3月25日指定(岐史第43号)。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(可児市教育委員会、2022年設置)
- 地方自治体発行
- 『可児市市内遺跡発掘調査報告書 平成7-11年度』可児市教育委員会〈可児市埋文調査報告31〉、2000年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 『可児市の古墳ガイドブック』可児市教育委員会、2017年。
- 事典類
- 齊藤基生「熊野古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「熊野古墳」『岐阜県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系21〉、1989年。 ISBN 4582490212。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『岐阜県史』 通史編 原始、岐阜県、1972年。
- 『熊野古墳 -市道3107号線道路改良工事に伴う埋蔵文化財範囲確認調査報告書-』可児市教育委員会〈可児市埋文調査報告19〉、1989年。
- 『可児市史』 第1巻(通史編 考古・文化財)、可児市、2005年。
外部リンク
- 熊野古墳 - 岐阜県ホームページ
- 【古墳めぐり】 次郎兵衛塚1号墳、長塚古墳、熊野古墳、羽崎中洞横穴墓 > 熊野古墳 - 可児市ホームページ
固有名詞の分類
- 熊野古墳のページへのリンク