長かった四段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 18:40 UTC 版)
順位戦デビューの第36期(1977年度)C級2組順位戦では6勝4敗の成績。その6勝のうち6回戦の白星は、この年に死去した師匠の清野に対する不戦勝であり、7回戦の白星は、谷川浩司に順位戦初黒星をつけたものであった。 第20期(1979年度)及び第22期(1981年度)の王位戦ではリーグ入り。第20期のリーグでは5戦全敗に終わったものの、第22期のリーグでは脇謙二及び米長邦雄を敗り2勝を挙げた。 第32回(1982年度)NHK杯戦に成績優秀シード(予選免除)で初出場(1回戦で坪内利幸に勝ち、2回戦で米長邦雄に敗れた。)。 第40期(1982年度前期)棋聖戦本戦で米長邦雄・内藤國雄らに勝ち、準決勝進出(真部一男に敗れた。)。 第9期(1982年~1983年)棋王戦でも予選を勝ち抜き本戦出場。1回戦で宮坂幸雄に勝ち、2回戦で真部一男に敗れた。 第42期(1983年度)C級2組順位戦で前半の3勝2敗から5連勝して3位に食い込み、順位戦初昇級に伴い五段昇段。以上のように四段時代が長く、最初の昇段までに181勝を記録したが、これは四段在位中の最多勝記録で、現行制度下では更新されることは無いと見られる。ちなみに、四段在位中の最少勝記録(0勝)は師匠である清野静男(三段から六段に飛び昇段)及び清野の弟弟子にあたる花村元司(五段からプロ特例編入)が保持しており、両棋士はそもそも四段に在位しないままプロ棋士となった。なお、昇段規定に勝数による昇段が加えられたのは、土佐が五段となった1984年4月1日と同時であった(同日付で多数の棋士が勝数規定で昇段した)。
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