長い衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:33 UTC 版)
中華民国の国際連合離脱後、中華民国政府は華僑社会での大きな威信を失った。民国派勢力も衰退した。1984年に香港の主権を中華人民共和国に移譲することを決めた英中共同声明が調印されたことも、民国派の数を減少させる結果となった。1990年代には、『香港タイムス』と『香港ユナイテッド・デイリー』の2つの民国派新聞が廃刊した。右寄りの『星島日報』も、政治的な変容を経て、右派紙として分類されなくなった。 1980年代に香港政庁が間接民主主義を導入したため、民国派も選挙に参加しようとしたが、効果的な選挙運動はほとんどできなかった。1985年には、港九工団連合総会代表の彭震海(英語版、中国語版)が香港工会連合会代表の譚耀宗(英語版、中国語版)とともに労工界功能界別(英語版、中国語版)で議席を獲得し、香港で初めて選出された香港特別行政区立法会の議席を獲得した。彭震海は立法院の民主派として、1995年に辞任するまで3期務めた。 1994年、民国派は政党として一二三民主連盟(英語版、中国語版)を設立し、1995年の第一回立法局総選挙(英語版、中国語版)に出馬した。一二三民主連盟の代表である任善寧(英語版、中国語版)は、香港返還前の前日に行われた最後の植民地時代の立法局での区議会を構成する選挙委員会功能界別(英語版、中国語版)で議席を獲得した。 1997年以降、民国派は民主派の小派閥となっている。麦業成(英語版、中国語版)率いる民主陣線(英語版、中国語版)は2003年に設立され、2003年香港区議会選挙(英語版、中国語版)で民主派の陳偉業(英語版、中国語版)と協力している。2011年から2012年にかけては、急進的な民主主義政党である人民力量と一時的に連携していた。その他、現在活発に活動している民国派の政治団体には、神州青年服務社(中国語版)がある。
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