鎖国と日本人町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 02:51 UTC 版)
東南アジアの日本人町は、江戸幕府による鎖国政策の完成(1632年)を受けて日本との往来が途絶えたため、在住日本人が現地住民と同化する形で徐々に消滅した。鎖国中にも貿易が許されたのは清と李氏朝鮮およびオランダに限られたが、そのうち朝鮮半島のプサンには中世の居留地である三浦倭館を受け継いだ「草梁倭館(そうりょうわかん、チョヤンウェグァン)」が置かれ、対馬藩から派遣された役人や商人など日本人400〜500人が居住していた。 厳密には日本人町ではない「琉球人町」も存在した。1609年にそれまで独立国家であった琉球王国が薩摩藩の実質的な支配のもと日本の勢力圏下に入ったが、琉球処分(1870年)までは清と琉球の形式上の冊封関係は続けられ、福建省の福州市には琉球人が居留する「琉球館(柔遠駅)」が置かれた。皇帝への拝謁や交易のために進貢船で行き来する首里の琉球王府正副使や役人・留学生・商人などが居住・滞在した。
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