金沢市立犀川小学校とは? わかりやすく解説

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金沢市立犀川小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 13:34 UTC 版)

金沢市立犀川小学校
北緯36度30分41.5秒 東経136度41分52.8秒 / 北緯36.511528度 東経136.698000度 / 36.511528; 136.698000座標: 北緯36度30分41.5秒 東経136度41分52.8秒 / 北緯36.511528度 東経136.698000度 / 36.511528; 136.698000
過去の名称 犀川村立下辰巳尋常小学校
犀川尋常小学校
犀川尋常高等小学校
犀川国民学校
犀川村立犀川小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 金沢市
併合学校 金沢市立駒帰小学校
金沢市立東浅川小学校
設立年月日 1874年明治7年)6月[1][注釈 1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B117220100544
校地面積 10,598[1] m2
校舎面積 4,194[1] m2
所在地 920-1302
石川県金沢市末町2の148番地[2]
外部リンク www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1710042
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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金沢市立犀川小学校(かなざわしりつ さいがわしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Saigawa Elementary School)は、石川県金沢市末町に所在する公立小学校

沿革

《主要な出典:[3]

  • 1873年明治06年)5月 - 大平沢の民家を借りて大平沢校を開校。
  • 1874年(明治07年)6月 - 字末の民家を借り受け末・下辰巳両字の児童を就学開校。
  • 1875年(明治08年)
    • 5月 - 字駒帰の民家を借りて駒帰校を開校。
    • 7月 - 字下鴛原に校舎を建て鴛原校を開校。
  • 1877年(明治10年)5月 - 字二又の民家を借りて二又校を開校。
  • 1878年(明治11年)5月 - 字樫見に校舎を建てて樫見校を開校。
  • 1885年(明治18年)12月 - 下辰巳に中初等学校と指定、校舎を新築。
  • 1887年(明治20年)4月 - 簡易科小学校[注釈 2]に改定。
  • 1892年(明治25年)4月 - 犀川村立下辰巳尋常小学校となる。
  • 1911年(明治44年)4月 - 犀川尋常小学校と改称[4]駒帰こまがえり尋常小学校を同校の分教所とする(駒帰分教所と改称)。
  • 1920年大正9年)4月1日 - 高等科を附設して犀川尋常高等小学校と改称。
  • 1941年昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により犀川国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行により犀川村立犀川小学校と改称。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 犀川村の金沢市編入に伴い、金沢市立犀川小学校となる。
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月10日 - 犀川小中学校駒帰分校校舎が火災により全焼[5][6]
    • 4月1日[7] - 駒帰分校が分離独立して金沢市立駒帰小学校となる[注釈 3]
    • 9月12日 - 駒帰小学校新校舎完成[6]
  • 1971年(昭和46年)6月 - 国見分校一時閉鎖。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 樫見分校一時閉鎖。
  • 1974年(昭和49年)11月 - 創立100周年[注釈 1]記念式挙行。
  • 1977年(昭和52年)4月 - 犀川小学校で学校給食実施[7]
  • 1979年(昭和54年)9月 - 大平沢分校一時閉鎖。
  • 1981年(昭和56年)3月 - 鴛原分校校舎改築落成。
  • 1982年(昭和57年)1月 - 国見分校、樫見分校、大平沢分校廃校。
  • 1983年(昭和58年)7月3日 - 犀川小中学校校舎落成式を挙行[7]
  • 1988年(昭和63年)4月 - 鴛原分校廃校[注釈 4]
  • 1994年平成06年)10月 - 創立120周年[注釈 1]記念式挙行。
  • 1998年(平成10年)4月1日 - 金沢市立駒帰小学校と統合(駒帰小学校閉鎖)。スクールバス運行開始。
  • 2014年(平成26年)10月21日 - 創立140周年[注釈 1]記念式典を挙行[9][10]
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 金沢市立東浅川小学校と統合。同日、東浅川小学校を廃止[11]

進学先中学校

脚注

注釈

  1. ^ a b c d 本拠校となった下辰巳の児童の就学があった1874年を創立の起算点としている。
  2. ^ 小学校令#第一次小学校令の項目にある「小学簡易科の設置」を参照。
  3. ^ 出典の旧ホームページ掲載『犀川小学校の歴史』では1967年(昭和42年)4月のこととあるが、前後の出来事(火災発生、校舎新築)とつじつまが合わない。駒帰小学校の創立年は1968年(昭和43年)である[8]。駒帰小学校跡地にある「沿革概要」の石碑にも設立は昭和43年4月1日と記されている。
  4. ^ 鴛原分校の児童(3人)が新学期から本校への通学を開始したことにより、鴛原分校が一時閉鎖となり、その後復活することなく結果的にその時点をもって廃校にいたったもの[7]

出典

  1. ^ a b c 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 34. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年9月26日閲覧。
  2. ^ 金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年9月26日閲覧。
  3. ^ 犀川小学校の歴史(金沢市立犀川小学校 旧ホームページ)(2012年2月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  4. ^ 石川郡自治協会 編『石川県石川郡誌 (石川県郷土誌叢刊)』(復刻版)臨川書店、1985年10月、1068頁。NDLJP:9539865/575 
  5. ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 続編』金沢市、1989年12月、923頁。NDLJP:9572073/486 
  6. ^ a b 『金沢市統計書』(昭和45年度版)金沢市企画室調査統計課、1970年11月、391頁。NDLJP:9505441/211 
  7. ^ a b c d 市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月6日閲覧。
  8. ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 続編』金沢市、1989年12月、1237頁。NDLJP:9572073/643 1988年5月時点の学校一覧表参照。
  9. ^ 平成26年度10月行事予定(金沢市立犀川小学校 旧ホームページ)(2015年2月19日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  10. ^ 犀川小学校の歴史と伝統を次の人に」『犀川小だより』平成26年度第8号、金沢市立犀川小学校、2014年10月31日。 
  11. ^ 金沢市学校設置条例の一部を改正する条例」『金沢市公報』号外第28号、金沢市、2018年12月26日、23-24頁。 
  12. ^ 金沢市立中学校生徒通学区域”. 金沢市. 2024年8月6日閲覧。

関連項目

外部リンク




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