金井豊
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Yutaka Kanai | |||
国籍 | ![]() |
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競技 | 陸上競技 | |||
種目 | 長距離走 | |||
大学 | 早稲田大学教育学部 | |||
生年月日 | 1959年10月16日 | |||
出身地 | ![]() |
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没年月日 | 1990年8月23日(30歳没) | |||
身長 | 1メートル79センチメートル[1] | |||
体重 | 64キログラム[1] | |||
成績 | ||||
オリンピック | 10000m:7位(1984年) | |||
自己ベスト | ||||
マラソン | 2時間12分51秒(1988年) | |||
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金井 豊(かない ゆたか、1959年〈昭和34年〉10月16日[1] - 1990年〈平成2年〉8月23日)は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1984年ロサンゼルスオリンピック男子10000mで7位に入賞したが、現役中に交通事故で死去した。30000mの日本学生記録保持者でもある。
来歴
群馬県沼田市沼須町出身[1]。群馬県立沼田高等学校3年生時の1977年に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)の800mで優勝した[1]。
早稲田大学への進学を目指したが、1978年の受験は不合格となり、翌1979年に入学した。入学後は早稲田大学競走部のエースとして箱根駅伝などで活躍する。在学中の1981年に、ニュージーランド・クライストチャーチで30000mに出場して、1時間33分52秒9の日本学生新記録を樹立した[注釈 1]。この記録は25年経った2006年現在も破られていない。
1983年にヱスビー食品に入社する。1984年ロサンゼルスオリンピックの代表に選出され、男子10000mに出場して28分27秒06の記録で7位に入賞した[1]。これは男子10000mでは1964年東京オリンピックの円谷幸吉(6位)以来の好成績だった。これ以後オリンピックで、日本男子勢が同種目で入賞するのは、16年後の2000年シドニーオリンピック代表・高岡寿成(7位)まで待つことになった。
1986年にロンドンマラソンに出場し、2時間13分42秒で6位に入賞した。
1990年8月22日、北海道での合宿中、大学生が運転する車に同乗の際、チームメートの谷口伴之とともに交通事故に遭い、30歳で死去(エスビー食品陸上競技部員交通死亡事故)。
マラソン全成績
- 2時間18分38秒 24位 1981年東京国際マラソン
- 2時間25分54秒 39位 1982年東京国際マラソン
- 途中棄権 1985年東京国際マラソン
- 2時間14分46秒 13位 1985年福岡国際マラソン
- 2時間13分42秒 6位 1986年ロンドンマラソン
- 2時間27分15秒 35位 1988年東京国際マラソン
- 2時間12分51秒 9位 1988年福岡国際マラソン(生涯自己最高記録)
- 途中棄権 1989年東京国際マラソン
- 2時間14分52秒 9位 1989年福岡国際マラソン
- 2時間20分09秒 58位 1990年ロンドンマラソン
脚注
注釈
- ^ ただし30000mは日本学生陸上競技連合の公認対象種目外である[2]。
出典
- ^ a b c d e f 沼田市体育史編集委員会 編『沼田市体育史』沼田市体育協会、1985年3月21日、巻頭「オリンピック出場選手」。doi:10.11501/12137972。(
要登録)
- ^ 日本学生記録 - 日本学生陸上競技連合
関連項目
- 中村清(早稲田大学競走部監督・ヱスビー食品陸上競技部監督)
- 瀬古利彦(ヱスビー食品陸上競技部監督)
- 渡辺康幸(早稲田大学駅伝監督・元ヱスビー食品陸上競技部)
- 金哲彦(ニッポンランナーズ理事長・早稲田大学卒業)
外部リンク
固有名詞の分類
- 金井豊のページへのリンク