福光久代とは? わかりやすく解説

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福光久代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/07 09:58 UTC 版)

福光久代
選手情報
フルネーム 福光久代
国籍 日本
種目 走高跳
所属 佐賀県立鳥栖高等学校
大昭和製紙
生年月日 1960年2月19日
生誕地 佐賀県東脊振村
自己ベスト
走高跳 1m93 (1981年)
獲得メダル
陸上競技
日本
アジア大会
1982 ニューデリー 走高跳
アジア選手権
1981 東京 走高跳
1979 東京 走高跳
編集 

福光 久代(ふくみつ ひさよ、本名:森田 久代、1960年2月19日- )は、日本の元陸上競技選手。女子走高跳の元日本記録保持者である。佐賀県東脊振村(現・吉野ヶ里町)出身。1984年ロサンゼルスオリンピック女子走高跳日本代表。

略歴

佐賀県立鳥栖高等学校1年生の時に国民体育大会で1学年上の八木たまみを初めて目にし、「雲の上の人」という印象を抱く[1]。高校在学時代の八木には一度も勝てなかったが、目標として練習に励んだ。八木が高校を卒業した後の1977年の全国高等学校総合体育大会に1m78cmの記録で初優勝。

高校卒業後、静岡県大昭和製紙に入社。1979年のアジア陸上選手権(東京)では銅メダル。1980年の第35回国民体育大会(栃の葉国体)で初めて八木に勝利する。同年10月、八木の持っていた記録を1cm更新する1m91cmの日本新記録を樹立。翌1981年のアジア陸上選手権(東京)では自己記録を更新する1m93cmのアジア新記録で優勝。1982年のニューデリーアジア大会では銀メダルを獲得した。

1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場し、1m87cmで17位(予選落ち)であった。

現役時代、国民体育大会には10回出場し、うち3回が出身地の佐賀県、7回が勤務先のあった静岡県代表だった[2]

引退後は地元の佐賀県に在住。県の陸上大会で審判を務めたりしている[1]

成績

日本選手権

3回優勝(1980年、1982年、1984年)

脚注




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