多久儀四郎とは? わかりやすく解説

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多久儀四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 14:42 UTC 版)

多久 儀四郎(たく ぎしろう[1]、1892年(明治25年)[注釈 1] - ?)は、日本のスポーツ黎明期の陸上競技中距離走長距離走)選手。


注釈

  1. ^ 1917年(大正6年)の東海道駅伝徒歩競走時、多久は数え年で26歳であった[2]。『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』では1889年(明治22年)生まれとあるが[3]、中学・東京高師で1年先輩にあたる金栗四三(1891年生まれ)との関係からも誤りと見られる。
  2. ^ 日本陸上競技選手権大会公式サイトでは「4分44秒4」とある[6]
  3. ^ 豊中運動場で開催される「日本オリンピック大会」は大阪毎日新聞社主催の大会で、大正時代には大日本体育協会主催の全国陸上選手権大会(現在の日本陸上競技選手権大会)と並ぶ全国規模の陸上競技大会であった[7]
  4. ^ 多久の赴任については金栗が関わる逸話が残されている。当初は日比野の働きかけによって金栗が1914年(大正3年)に卒業したのち愛知一中に赴任することが決まっていたが、金栗は1916年ベルリンオリンピック(第一次世界大戦により中止)を目指しているためにしばらく東京に残って取り組みたいと日比野に直談判し、日比野は快諾した[4][11]。金栗に代わって2年後に多久が愛知一中に奉職することになったという[4][11]
  5. ^ 明石和衛・金栗四三・坂本信一が「東京・神奈川等」チーム、日比野寛・多久儀四郎が「京都・愛知等」、木下東作・高瀬肇・春日弘が「大阪・兵庫等」を担当した[12]
  6. ^ 衆議院議員選挙出馬のため、3月に校長を辞職している[14]
  7. ^ 対する「関東組」の選手は一高の飯塚博で、このほか長距離走者として知られた同志社大学の加藤富之助も個人参加した[16]
  8. ^ 正式名称は「日本・フィリピンオリンピック大会」。大阪毎日新聞社主催。極東大会に参加したフィリピン選手を招聘したもの[18]
  9. ^ 出典[19]では「山之内晋作」とある。
  10. ^ スペインかぜ流行下で開催されたこの年の第4回日本オリンピック大会は、翌年開催される第4回極東選手権競技大会の代表選考大会も兼ねた[7](大日本体育協会西部支部による代表選考会。東部支部は同日に東京で別個に予選会を開いている[7])。

出典

  1. ^ a b c d FAR EAST CHAMPIONSHIPS”. http://www.gbrathletics.com/. 2023年3月26日閲覧。
  2. ^ 中村哲夫 2021, p. (159).
  3. ^ a b c d e f 日本スポーツ協会 1933, p. タの部2.
  4. ^ a b c d e f g h i 有吉正博. “ランニング・カフェ 第26話「駅伝誕生100年」②”. ランニング学会. 2023年2月23日閲覧。
  5. ^ a b 日本学生記録の変遷 男子1500m”. 日本学生陸上競技連合. 2023年3月24日閲覧。
  6. ^ a b 過去の優勝者・記録 男子1500m”. 第100回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2023年3月24日閲覧。
  7. ^ a b c d 松本泉. “豊中運動場100年(89) 第4回日本オリンピック 世界目指し好記録続出”. マチゴト 豊中池田ニュース. 2023年3月24日閲覧。
  8. ^ 松本泉 (2014年8月9日). “豊中運動場100年(29) 第2回日本オリンピック 国内記録を次々と更新 公開競技で競歩も”. マチゴト 豊中池田ニュース. 2023年3月24日閲覧。
  9. ^ 過去の優勝者・記録 男子800m”. 第100回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2023年3月24日閲覧。
  10. ^ a b 中村哲夫 2021, p. (157).
  11. ^ a b c 中村哲夫 2021, p. (201).
  12. ^ a b 陸上競技のルールをさぐる21 駅伝競走の歴史<そのIII>”. 筑波大学陸上競技部OB・OG会 (2019年1月15日). 2021年3月7日閲覧。
  13. ^ a b 中村哲夫 2021, pp. (158)-(159).
  14. ^ a b 中村哲夫 2021, p. (158).
  15. ^ 中村哲夫 2021, p. (177).
  16. ^ 中村哲夫 2021, p. (178).
  17. ^ 中村哲夫 2021, p. (165).
  18. ^ a b c 松本泉. “豊中運動場100年(75) 好天に恵まれた日比オリンピック/「フィリピン日和」に躍動”. マチゴト 豊中池田ニュース. 2023年3月24日閲覧。
  19. ^ a b 松本泉 (2016年11月1日). “豊中運動場100年(76) カタロンには勝たれん/「グリコのランナー」モデル説”. マチゴト 豊中池田ニュース. 2023年3月24日閲覧。
  20. ^ 過去の優勝者・記録 男子5000m”. 第100回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2023年3月24日閲覧。
  21. ^ 松本泉 (2017年6月26日). “豊中運動場100年(90) 雨で超過密スケジュール 悪条件の中、記録低調”. マチゴト 豊中池田ニュース. 2023年3月24日閲覧。


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