梅原半二
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梅原 半二 (うめはら はんじ、1903年 - 1989年) は、日本の自動車技術者。元豊田中央研究所代表取締役所長。紫綬褒章受章。デミング賞受賞。
経歴・人物
愛知県知多郡内海町(現南知多町)生まれ[1]。味噌醤油醸造業米沢屋を営む名家で兄は町長を務めた[1][2]。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)第4学年を修了し、第八高等学校卒業後、東北帝国大学工学部機械工学科に進学するが結核患い休学となる。その後東北帝国大学講師を辞し、妻が経営するバーのマスターを務めていたが、1936年に豊田自動織機製作所に入社し、自動車部嘱託技師となる[2]。1945年東北帝国大学工学博士[3]。1950年からトヨタ自動車工業取締役を務め[1]。初代トヨタ・クラウン、初代トヨタ・コロナの開発指揮を行った。1960年トヨタ自動車工業常務取締役に昇格。品質管理部門等を統括し[1]、デミング賞を受賞した[2]。1960年豊田中央研究所建設委員長。1967年豊田中央研究所代表取締役所長[1][2]。1974年、豊田中央研究所顧問[4]。紫綬褒章受章[2]。1975年4月29日、勲三等瑞宝章受章[5]。
哲学者の梅原猛は実子であるが、両親ともに学生時代に生まれた子であり、猛が1歳の時に実母が亡くなったことから、半二の兄・梅原半兵衛の養子となった。
著書
- 『純の中の不純』黎明書房 1974年
- 『平凡の中の非凡』佼成出版社 1990年
脚注
- ^ a b c d e “梅原半二”. 中部産業遺産研究会. 2025年5月23日閲覧。
- ^ a b c d e “《技術なき工学は空虚である。工学なき技術は盲目である。》”. 東北大学ひと語録. 東北大学萩友会 -TOHOKU UNIVERSITY-. 2025年5月23日閲覧。
- ^ “熱交換器の研究”. NDLサーチ 国立国会図書館. 2025年5月23日閲覧。
- ^ “理事・監事・評議員の変遷”. トヨタ財団 The Toyota Foundation. 2025年5月23日閲覧。
- ^ “トヨタ自動車(株)『創造限りなく : トヨタ自動車50年史. 資料集』(1987.11)”. 渋沢社史データベース. 2025年5月23日閲覧。
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