野犬時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/18 07:38 UTC 版)
平治は捨て犬だったとされ、その出自や素性について正確なことは分からない。1973年の夏、九重連山長者原登山口の観光施設「長者原ヘルスセンター」にて登山バスの切符売り場に勤める荏隈保(えのくま たもつ)によって保護された白い仔犬は、重い皮膚病を患い身体の約半分の体毛を失った状態だったという。荏隈は犬好きで、自宅に飼い犬が複数居たので仔犬を連れ帰りはしなかったが、職場付近でその世話をした。仔犬は弁当を分けてもらうことを期待して、登山者と一緒に山へ登ることを覚えた様子だった。 その年の秋、牧ノ戸登山口から入山した50代ほどの夫婦が山中で道を失い迷ったところを、突然現われた白い犬に長者原登山口まで導かれ難を逃れた。その足で長者原ヘルスセンターを訪れた夫婦は、荏隈にそれを話し「せめてもの礼にその犬の皮膚病を治してやって欲しい」と金銭を置いて帰った。荏隈は皮膚病に効くとされる法華院温泉の湯の花を取り寄せ、犬の患部に繰り返し塗布したところ徐々に快癒すると同時に体躯も大きく成長し、冬になる頃には立派な体格の犬になっていた。成長した姿は頭から背中にかけて薄茶色、腹から前後脚は白い毛に覆われ太い脚と大きなたくましい身体を持つ犬だった。 付近の山を熟知する荏隈は、登山のガイドや遭難者の捜索を引き受けることがあった。その中には1962年の正月に2つの登山隊計9名が遭難し7名が命を落とした、九重最悪と言われる事故の捜索も含まれた。一方、猟師を父に持つ荏隈は猟犬の訓練や扱いにも慣れていた。あるとき平治岳(ひじだけ)へ修学旅行に来た中学生らのガイドを頼まれた彼は、近くに居た例の犬に声を掛けたところ犬が中学生らを先導するかのように歩いたのを見て、この犬を「ガイド犬」として訓練することを思いついた。このとき彼は、登っていた山の名前から犬に「平治」(へいじ)と名づけた。その後しばらくの間、荏隈は平治にいかに登山者を誘導するか語りかけながら一緒に登山道を歩き、道を覚えさせた。
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