都市型戦闘訓練施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 15:00 UTC 版)
「キャンプ・ハンセン」の記事における「都市型戦闘訓練施設」の解説
基地の豊富な沖縄にあっても、米軍基地に欠落する機能は存在した。そのひとつが都市環境を模した戦闘訓練施設であった。この問題を解消するため1990年3月、宜野座村福山区付近戦闘訓練村が完成した。これは西太平洋で海兵隊が保有する唯一の施設である。完成当初の施設は教会、小学校、レストラン、銀行、2階建てアパート2棟の計6棟から成り、近傍にヘリパッドがある。村に通じる道路は2本である。人質救出、全面侵攻など様々な戦術状況を想定した訓練が実施されている。建設業者にとって異質だったのは、各建物によじ登ったり、懸垂降下出来るように引っ掛けが設けられたことであり、窓の大きさは異なるものばかりであることだった。こうした工夫は海兵隊員に想定外の状況での行動を可能とするように設計された。 しかし、この時の訓練施設建設に対しては地元より激しい反発があった。特に反発が激しかったのは恩納村に建設された施設で、同村は当時既にリゾート地として開発が進んでいたことも理由となっている。建設資材搬入の際県警は機動隊を投入して護衛を図った程のものであった。その後、知事であった西銘順治の訪米直訴により、恩納村に建設された訓練施設は解体・撤去の方針となり、1993年7月に作業は完了した。その後、長らく宜野座村福山区付近に建設された方の施設のみが供用されてきた。
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