都市型バス事業者への変貌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/24 06:07 UTC 版)
「京阪宇治交通」の記事における「都市型バス事業者への変貌」の解説
1970年以降、京阪電鉄沿線のベッドタウン化により、住宅団地が次々と建設され、京阪バスと京阪宇治交通は積極的に団地路線の新設を行なった。特に八幡町(1977年に市制施行)の男山団地と枚方市くずは地区では大規模な造成が行なわれ、京阪宇治交通がくずは地区へ乗り入れ団地輸送を担当した。これは京阪宇治交通にとっては大きな転機となり、1972年には累積赤字を解消するなど、経営状態は大きく改善されることになった。観光輸送中心だった京阪宇治交通は、団地輸送を基幹とする都市型バス事業者への変貌を遂げた。 その後も、主に京都府南部の京阪、近鉄沿線のフィーダー輸送の役割を果たしていくことになる。 2000年代に入ると、京阪グループ内全体での事業再編成が行なわれた。まず1999年には宇治営業所の事業を京阪宇治交サービスに譲渡、2002年には田辺営業所の一部路線を京阪宇治交通田辺に分社化した。さらに、京阪宇治交サービスのバス事業は、2003年に京阪宇治バス(2002年に当社の子会社として設立)に引き継いだ。2004年には京阪バスシステムズが京阪グループのバス事業を統括する持株会社として設立され、京阪宇治交通および分離子会社はその傘下となった。 2006年4月に京阪宇治交通と京阪宇治交通田辺は京阪バスに合併された。一方、合併に加わらずに実質的な後継会社となった京阪宇治バスは、2014年4月に京阪シティバスを合併し、京都京阪バスに改称した。
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