違憲審査制と連邦の権限の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:50 UTC 版)
「アメリカ法」の記事における「違憲審査制と連邦の権限の拡大」の解説
合衆国憲法は、政治的な妥協の産物であり、連邦法の優位が認められる合衆国に規定された事項を、誰が、どのように判断するのかという問題について規定する条文がなかった。 合衆国憲法制定当初は、合衆国憲法に規定された事項については連邦法が優位するものの、それ以外の事項については逆に州のポリスパワーが優位するとされ、連邦の権限は限定的なものと解され、特に南部の州ではこのような考えが強かった。 しかし、連邦最高裁判所は、1803年のマーベリー対マディソン事件判決で、連邦最高裁判所が合衆国憲法の最終的な有権的解釈権を有し、合衆国憲法が人民に保障した権利を州法が侵していると判断した場合には、その州法を違憲無効とすることができるという考え方を示した。 その後、連邦最高裁判所は、この違憲審査制によって合衆国憲法に規定された契約条項や州際通商条項の解釈を通じて徐々に連邦の権限の拡大を目指すようになる。 もっとも、1819年のマカラック対メリーランド事件判決によって、合衆国銀行が合憲と判断された後にアンドリュー・ジャクソン大統領は、憲法の有権的解釈権は、裁判所のみが有するものではなく、大統領および立法府も有しているとして合衆国銀行の免許更新を認める法案の署名を拒否して連邦最高裁判所の判決を無視したことがある。また、1832年のウースター対ジョージア州事件判決によって、二人の宣教師を逮捕した根拠となるジョージア州の州法が違憲とされた後もジョージア州当局は二人の宣教師を釈放せず、連邦最高裁の判決を無視している。このように、違憲審査制が確立されるまでの道のりは決して平坦なものではなく、衝突と対話を繰り返した結果であるといえる。
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