道(みち)としての南海道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 15:49 UTC 版)
南海道諸国の国府と都を結ぶ官道でもあり、七道の中で小路とされた。 長岡京以前の南海道は、紀伊国内に入ると萩原駅(かつらぎ町大字萩原)、紀ノ川北岸を西進して名草駅(紀伊国府があったと推定されている和歌山市府中)へ至り、さらに西進した後賀田駅(和歌山市加太)が置かれていた。延暦13年(794年)に平安京に都が移ると、翌々年に南海道のルートが変更された。本州側では、大阪湾に沿って進み、和泉国の呼唹(おの)駅から雄の山峠(和歌山市滝畑)を越えて紀伊に入り、紀伊国府を経て賀太駅に至るルートに変更された。 加太港から海路で洲本市由良港に上陸して淡路国に入りその後南あわじ市三原の淡路国府へ至る。淡路国府を出た後は南あわじ市福良港から再び海路で鳴門市撫養港で四国に上陸、その後板野町大寺の郡頭駅から讃岐・伊予・土佐方面と阿波国府方面とで分岐する。阿波国府方面へはそこから南進して徳島市名東町の阿波国府へ至る。一方、讃岐・伊予・土佐方面へはそこから北進し大坂峠を経て讃岐国に入る。 香川県(讃岐国)内のおおまかなルートは徳島県道・香川県道1号徳島引田線の大坂峠より引田で国道11号に接続し、大内郡丹生郷(現・東かがわ市町田)より長尾街道をたどり、三木郡池辺郷(現・木田郡三木町池戸)から川島街道(現・香川県道12号三木国分寺線)をたどり香川郡一宮の田村神社(讃岐国一宮)を通過し、阿野郡府中郷(現・坂出市府中)より合流する丸亀街道(現・香川県道33号高松善通寺線)をたどり讃岐国府に至る。以降は丸亀街道に沿って西進し那珂郡丸亀を経由して多度郡三井(現・仲多度郡多度津町三井)にて国道11号に復帰する道程を取る。 多度郡三井より更に西進して伊予国に入ると四国中央市妻鳥町の大岡駅で伊予国府方面と土佐国府方面とで分岐する。多度郡以降の香川県内から愛媛県内の大まかなルートは現在の国道11号がほぼそれに沿っているとされる。しかし道そのものを踏襲している場所は少なく、現在ではその多くが小さな生活道路の1つとして埋もれている。 一方、妻鳥町の分岐から土佐方面へは、おおむね国道192号から愛媛県道・高知県道5号川之江大豊線(土佐北街道)に至り、長岡郡大豊町より国道438号を西行して長岡郡本山町より地域道を南下し、以降は国道32号へと沿うルートに至り南国市にある土佐国府に至る。
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