道と碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:04 UTC 版)
道は標高210 mから600 mで下っていく平均斜度24度の急こう配の交通難所で、豊臣秀吉が小田原攻めの際に1km西に新しい峠道を整備したため、その後はほとんど利用されなくなった。江戸時代に蔦の細道がさびれて消滅を惜しんだ駿河国の代官によって1830年(文政13年)に蔦の細道の入り口に碑が建てられた。この碑は「蘿径記」といい、現在も位置を変えて坂下地蔵堂脇に残されている。現在はハイキングコースとして整備され、沿道には「つたの細道公園」があり、山頂にある在原業平が詠んだ歌碑をはじめ、藤原俊成、藤原定家など多くのゆかりの歌人たちの歌の石碑が沿道に置かれている。
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