運転の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:42 UTC 版)
JR東日本の前身である日本国有鉄道(国鉄)は1984年(昭和59年)、私鉄各社で通勤時間帯に運行されていた特急列車をヒントに、上野駅 → 大宮駅間(ホームライナー大宮、後のホームライナー古河・ホームライナー鴻巣、2014年3月14日で廃止)、次いで総武快速線東京駅 - 津田沼駅間(ホームライナー津田沼、後のホームライナー千葉、2019年3月15日で廃止)において座席定員制の「ホームライナー」を登場させた。これらが好調であったことを受けて、東京地区の東海道本線においてもホームライナーを設定することとなり、1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正で登場したのが「湘南ライナー」である。 この改正の前、東海道本線では185系電車をラッシュ時間帯には普通列車として運用していたが、2扉の同系列は混雑の激しいラッシュ時の輸送では遅延を招いていた。「湘南ライナー」はこの185系電車のラッシュ時間帯の有効活用を図るために設定されたものであり、それまでの東北本線や総武快速線のような“回送列車の有効活用”とは異なった背景での登場であった。列車名は神奈川県内在住者からの公募で決められた。画期的であったのは、寝台特急を含めすべての列車が停車していた横浜駅を通過とした点である。運転開始から利用状況は良く、ライナー乗車整理券を販売する駅には常に行列ができるほどの人気ぶりとなった。 185系電車15両編成(約850名)であっても座席数が不足することから、JR東日本発足後には中間車全車両が2階建車両である215系電車を当列車用として製造した。これは、約1000人分の座席数で、登場以来最混雑列車に使用されていた。
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