逆手でバットを持っていた若者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:28 UTC 版)
「1954年のメジャーリーグベースボール」の記事における「逆手でバットを持っていた若者」の解説
アラバマ州にモービルという土地がある。モービル石油の発祥の地として有名だが、近郊の農村で小作農を営み、やがて都会に出て造船会社に務めていた黒人男性に1934年に男の子が生まれた。父親になったハーバートは生まれた子にヘンリーと名付けた。ヘンリー少年は物心がついた頃にはジャッキー・ロビンソンに憧れて彼のような野球選手になりたいといつしか思うようになった。そして草野球チームに入って野球に夢中になっていた。そこにエド・スコットという臨時スカウトがこの痩せた少年に注目してセミプロの黒人チームのモービル・ブラックベアーズに入団させた。このエド・スコットが注目したのはこのヘンリー少年のバットの持ち方だった。右打者なので普通は左手が下でグリップに近い方を握るのに、この若者は右手が下で左手が上で握る持ち方であった。これで凄いライナーを飛ばすので、やがてブレーブスのスカウトのデューイ・グリッグズが見つけて、彼はこのバットを逆さまに持って打つ若者を「大したものだ。これを直せば、どえらい打者になるのでは」と考えて、ブレーブスとの入団契約を取り付けた。そして1954年のブレーブスのキャンプ地に肩からバッグを下げて初めてやって来た彼を見たブレーブスのチャーリー・グリム監督は余りに痩せているので「郵便配達が手紙を持ってきたのかと思った」と後に述懐している。 この年にメジャーデビューした彼は122試合出場して、打率.280・打点69・本塁打13本の成績を残した。エディ・マシューズ、ジョー・アドコックが打ち、ウォーレン・スパーン、ボブ・ブール、バーデッドが揃った投手陣のミルウォーキー・ブレーブスはこの黒人の若者が飛躍していくと同時に黄金期を迎えた。この少年の名前はヘンリー・ルイス・アーロン。やがて本塁打を量産し先行していたミッキー・マントルの本塁打数を超え、やはり先輩だったウィリー・メイズの本塁打数を超え、そして1974年についにベーブ・ルースの714本の通算最多本塁打記録を破って、静かなる男と呼ばれたハンク・アーロンである。
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