近代河川改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:50 UTC 版)
明治以降、全国の主要河川は内務省による直轄管理河川として河川改修が行われていた。紀の川においては1899年(明治31年)に和歌山県営事業として堤防改修が開始されたのが近代河川改修の始まりである。岩出市~紀の川河口に至る堤防整備が主なものであった。ところが1917年(大正6年)10月に紀の川の流域は大水害の被害を受け、従来の堤防は各所で決壊してしまった。 この為1923年(大正12年)に紀の川は内務省の直轄改修対象河川となり、大正6年に洪水を基準とした『紀の川改修計画』が策定された。これは基準流量を大正6年洪水の最高流量である5,600トン/秒に定め、この流量に耐えられる河川改修を行う事を目標とした。具体的には堤防築堤・護岸改修・浚渫・川底掘削といった従来からの河川工法と、所々に見られる急激な狭窄部を開鑿して拡張し、河水の流下阻害要因を排除する事を目的としている。 改修計画は当初1936年(昭和11年)に完成する予定であったが、その後の国内事情によって事業は遅延し1943年(昭和18年)以降は太平洋戦争に伴い中断を余儀無くされた。また、当時全国の河川で着手されていた「河水統制事業」も紀の川では行われず、水力発電による電源開発も目立ったものは行われなかった。
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