近世の大地引網
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 23:56 UTC 版)
大地引網は九十九里浜が有名である。九十九里浜の地引き網の歴史は、弘治元年(1555年)に紀州の漁師西之宮久助が剃金村(現在の千葉県白子町)に漂着し、紀州漁法である地引き網を伝えたことに始まるとされている。伝えられた地引き網は片手廻しの小地引網であるが、遠浅で海底に岩が隠れていない九十九里浜は、網を引いても破れるおそれがないので、大規模な地引き網に適していた。2艘の網船が沖合いで袋網を中央にして網を連結し、左右に別れ両側に投網する両手廻しの大地引網は、寛永年間(1624年-1658年)に一宮本郷村(現在の千葉県一宮町)の片岡源右衛門が工夫したもので、その規模は網の長さ片側300間、中央部に30〜40間の大袋網が付き、水主60〜70人、岡者200人とされる。九十九里浜の地引き網によるイワシ漁は佐藤信季の「漁村維持法」に、「予あまねく四海を遊歴して地曳網に働く者を見ること多し、然れども諸国の漁事、九十九里の地曵に如くものあることなし」と評され、網数は200余張に達していた。 大規模な地引き網は多くの資金と労働力を必要とし、豊漁であれば一攫千金も夢ではないが常に漁があるわけではないので、背後に穀倉地帯である九十九里平野がひかえ豊富な資金力と必要時のみ動員できる労働力などの社会的条件が背景にある九十九里浜で特に発展した。近世の大地引網漁はほとんどこの方法によって行われ、九十九里浜のほか肥後天草などが名高い。
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