近世の大原荘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 06:49 UTC 版)
広域呼称としての「大原」は近世・江戸時代においても見られ、慶長8年(1603年)9月3日の鳥居家代官連署証文(「冨士御室浅間神社文書」)では「大原七ヶ郷百姓衆井成沢善四郎」と見える。『甲斐国志』では、大石・小立・船津・長浜・大嵐・勝山・成沢の七ヶ村を「大原庄七郷」と呼称している。 また、近世には富士河口湖町勝山の冨士御室浅間神社が大原七郷の産土神であったという。
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