近世の労働と貨幣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)
江戸時代の農村は、賃金労働率の低さと兼業率の高さという特徴を持つ。生存水準倍率によれば、年間賃金収入は生存水準倍率の1を下回る0.6であり、同時代の北京の農村やミラノと同等でオクスフォードよりは低位だった。江戸時代の雇用の多くは、季節就業か年季奉公によって行われていた。江戸時代の報酬には2種類あり、職人型と奉公人型に分けられる。職人型の報酬は授受権利があり、仕事の成果に対して支払われた。奉公人型の報酬では給金は義務ではなく、感謝として支払われた。現代では前者は賃金、後者は給料にあたる。年季奉公の期間は1年から3年が多く、雇い主と奉公人の関係よりも、雇い主と保証人との関係が重要とされた。奉公人の報酬は、最初に雇い主から家人(親の場合が多かった)や保証人に支払われた。奉公人は衣食住が保証される代わりに、期間中は貨幣での報酬は基本的に支払われなかった。これが変化するのは明治時代からとなる。実質賃金は、18世紀前半から19世紀にかけて、天保の改鋳や幕末期のインフレーションで低下しつつもゆるやかに上昇した。賃金労働率の低さと兼業率の高さは明治時代まで続いた。
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