辞任と復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/07/16 09:30 UTC 版)
「ウィルヘルム・ミュンカー」の記事における「辞任と復活」の解説
1933年、ナチスが政権をとり、ドイツユースホステル協会をナチスが牛耳ったとき、ミュンカーはドイツユースホステル協会を辞任した。そしてヒルヘンバッハで、ザウワーランド山岳協会などで活躍し、環境団体を作って環境問題にとりくんだ。第二次大戦の戦火では、70歳の老齢にもかかわらず大活躍してヒルヘンバッハを救っている。そして、ナチス政権が倒れると、いち早くドイツユースホステル協会を復興させた。 第二次世界大戦が終わり、1945年に国際ユースホステル協会が復活する時に、シルマンとミュンカーはオブザーバーとして招待された。ドイツ人として、戦後はじめて海外旅行を許された人間であった。しかも旧敵国の大勢の青少年に囲まれて大歓迎を受けた。長い間の友人であったプルクハート・ションブルク教授(ザウワーランド山岳協会の同志)は、次のように評している。 「ミュンカーは、一つの理想を追ってこれに全生命を対決させた。彼は文字通りの理想主義者であった。しかし同時に現実の生活を知っていた。だから理想が現実の土地の上から足をさらわれて浮き上がる事がなかった。一度不運に見舞われても、彼は必ずこれを克服して成熟していった。理想の飛躍と生活の現実の間の厳しい相剋の谷間に、彼は創造的な橋をかける力をもっていたのである。ここに、ミュンカーの本質があり成功があったのである」
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