軍歴後半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 07:42 UTC 版)
「大沼龍太郎 (海軍軍人)」の記事における「軍歴後半」の解説
機関少佐の後半と機関中佐時代の補職は「満州」、「千歳」、「伊吹」各機関長としての海上勤務、呉海兵団機関長、呉海軍工廠検査官、海軍工機学校教官の陸上勤務であった。1913年(大正2年)12月に機関大佐に進級し、佐世保海軍工廠検査官に補されたが、第一次世界大戦の勃発により第一南遣枝隊(以下「一南遣」)機関長として出征する。この部隊は山屋他人を司令官とし、巡洋戦艦「鞍馬」、「筑波」のほか「浅間」、駆逐艦から成り、さらに「生駒」、「磐手」、「筑摩」、「矢矧」が増勢されている。一南遣は、イギリス海軍などと協力して海上交通の脅威となっていたドイツ東洋艦隊の捜索にあたり、またドイツ領であった南洋群島各地を占領したが、ドイツ東洋艦隊との交戦には至っていない。一南遣は10月19日に解隊となり、翌年2月、大沼は山屋とともに第三戦隊に異動となり、中途に待命期間を挟みながら機関長を務めた。12月、舞鶴鎮守府機関長として帰還した。この地位にあること三年半を経過した1919年(大正8年)6月に機関少将へ昇進し、待命となる。予備役編入は翌年3月であった。その後軍事関係の会社に招聘され、また稚松会評議員として後進の育成に尽力している。
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