軍を除隊、選挙に初挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「軍を除隊、選挙に初挑戦」の解説
1899年春に陸軍を除隊した。騎兵将校は経費がかかるし、文筆で生計を立てていく自信が付いたためであったといわれる。 1899年6月にオールダム選挙区の庶民院議員補欠選挙に保守党候補として出馬した。オールダムは繊維産業の町で労働者が有権者の中心だったため、保守党としてはディズレーリの「トーリー・デモクラシー」の継承者を自任していたランドルフ卿の息子を候補にした。チャーチルも「トーリー・デモクラシー」を意識した選挙戦を展開し、「帝国を維持するには自由な人民、教育ある人民、飢えない人民が必要だ。だからこそ我々は社会政策を支持する」と演説した。だが補欠選挙の最大の争点は社会政策ではなく、国教会に地方税を投入するソールズベリー侯爵の政策に対する賛否だった。自由党はこれを徹底的に批判して選挙戦を有利に展開し、チャーチルも選挙戦後半でつい「私が当選したらこの法案には反対する」という失言をしてしまい、変節者という批判を受けてますます不利な立場に追いやられた。 イギリスの選挙区は1884年の第3次選挙法改正以来、原則として小選挙区になっていたが、オールダム選挙区は数少ない2議席選出の大選挙区だった。しかし選挙の結果は、2議席とも自由党がとり、チャーチルは今一歩のところで落選となった。
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