軍への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 15:14 UTC 版)
「ロドルフォ・グラツィアーニ」の記事における「軍への復帰」の解説
退役後はローマ市内で隠遁生活を送っていたが戦況悪化による反政府クーデターには否定的であり、ファシズムへの支持を取り下げる事も無かった。1943年9月18日、幽閉されていたムッソリーニ国家統領がナチス・ドイツによって救出され、イタリア社会共和国(RSI)が建国されるとRSI政府の要請に応じて共和ファシスト党に入党した。ピエトロ・バドリオ陸軍元帥とジョヴァンニ・メッセ陸軍元帥が南部王国政府に参加し、ウーゴ・カヴァッレーロ陸軍元帥とエミーリオ・デ・ボーノ陸軍元帥がRSI政府に処刑された状況下で、陸軍元帥の称号を持つグラツィアーニが協力を表明した事は非常に大きな意味を持った。 ムッソリーニ国家統領から国防相に任命され、ドイツ国防軍との協力でイタリア社会共和国国防軍の編成に取り掛かり、4個歩兵師団を前線に展開させた。政権後半にはドイツ軍から独立指揮権を認められ、リグリア軍集団を編成してアルフレード・グッツォーニ陸軍大将(英語版)を軍集団司令官に任命した。リグリア軍集団はガルファーニャの戦い(英語版)で連合軍に戦術的勝利を得ている。1945年4月27日、南欧での枢軸軍の総崩れとムッソリーニの処刑によってRSI政府は解散され、4月29日にRSI軍も連合軍との休戦交渉に入り、国防大臣であるグラツィアーニの署名を持って武装解除された。 ナチスドイツでも4月30日にヒトラーが自決、5月4日にドイツ国防軍のC軍集団が降伏し、イタリアでの世界大戦は終結した(欧州戦線全体の終結は5月9日)。
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