軍中央との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 20:33 UTC 版)
この間、ビルマへの独立付与をめぐって、南方軍および第15軍と南機関との間に対立が生じていた。鈴木大佐は一日も早くビルマ独立政府を作り上げることを念願とし、オンサンたちに対しても早期の独立を約束していた。オンサンたちも、ビルマに進入しさえすれば当然に独立は達成されるであろうと期待していた。 ところが、南方軍および第15軍の意向は、彼らの願いを根底から覆すものだった。南方軍参謀石井秋穂大佐は次のように述べている。 作戦途中に独立政権を作ると、独立政権は作戦の要求に圧せられて民心獲得に反するような政策を進めねばならなくなり、日本軍との対立が深まる。 形勢混沌たる時機には、民衆の真の代表でない便乗主義者が政権を取る結果になることもありうる。 独立政権の樹立には反対しないが、まずは単なる行政担当機関を作らせ、軍司令官の命令下に管理するのが順序である。 結局、軍中央を動かしていったのはこうした筋の見解だった。鈴木大佐以下南機関のメンバーたちは、次第に軍中央の方針に反発し、事と次第によっては反旗を翻すことを仄めかすようになった。オンサンたちも日本軍を不信視し、不満の念を高めていった。 5月13日、マンダレー北方のモゴク監獄から脱出していたバー・モウが日本軍憲兵隊によって発見された。これまでオンサンもビルマの指導者としてバー・モウを推奨していたこともあって、第15軍はバー・モウを首班とする行政府の設立準備を進めることとなった。6月4日、飯田軍司令官はビルマ軍政施行に関する布告を発し、中央行政機関設立準備委員会を発足させた。
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