起源に関する異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/03 13:30 UTC 版)
ジュ・ド・ポームがペロタに発展したとするのがテニス史の定説であるが、日本体育大学大学院教授の稲垣正浩はこの常識に異論を唱え、遊戯性の強い対人ゲームのジュ・ド・ポームから、祭祀性の強い壁打ちゲームのペロタに、先祖帰りとも呼べる進化をしたとされること、ラケットを使用して魅力を増したジュ・ド・ポームから素手での打撃にこだわるペロタに、やはり先祖帰りとも呼べる進化をしたとされることの合理性に疑問を投げかけている。 かつてのペロタは祭祀儀礼だったとされる。現在でも山間部の集落のペロタ競技場はカトリック教会に付設され、集落でもっとも見晴らしのよい場所に立地している。稲垣は、太陽信仰の祭祀場としてのペロタ競技場が先にあり、後から隣接地に教会が建てられたのではないかと推測している。稲垣はペロタのルーツを、素朴な戦闘技術としての石投げの実戦訓練に求めている。 ペロタ研究者のチピテイ・エチェトによれば、ペロタが初めて文献に登場するのは19世紀初頭のナポレオン時代に行われた試合であり、その試合は今日では珍しくなったレボットと呼ばれる種目に近かったとされている。
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