起源に関する伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 05:10 UTC 版)
その昔、黄帝の子は25人おり、その一人である昌意の末子が北土の大鮮卑山に封ぜられ、そこから鮮卑と号すようになった。その後代々君長を立て、広漠の野を統治し、牧畜と狩猟を生業とした。黄帝の末裔である始均は堯の時代に入仕した。始均が女魃(ひでりの神)を弱水の北に駆逐すると、民が彼を頼ったため、舜はこれを喜んで、命じて田祖とした。秦漢の時代になり、始均の子孫は獯鬻・獫狁・山戎・匈奴の属国となり、代々残暴で(むごく荒々しく)、中国を害したので、中国との国交を断絶した。67世の後、拓跋毛が大人(部族長)となり、36国、大姓99を統べ、北方に威を振った。数代の後、大人の拓跋推寅は大澤に南遷する。それより数代の後、大人の拓跋鄰は神人より移住することを勧められたため、息子の拓跋詰汾に命じて南へ遷移させ、拓跋部は匈奴の故地に移り住むようになった。 173年、拓跋詰汾は狩りの途中で天女と遭遇し、その天女との間に拓跋力微を授かる。
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