賠償請求を巡る争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:10 UTC 版)
「プロイセンのネーデルラント進駐」の記事における「賠償請求を巡る争い」の解説
プロイセンもフランスに対する欺瞞行動を開始した。見せかけとしてフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、フランスとの交渉を継続する意向を示す。彼の目的はいまだに、プロイセン・フランス両国のネーデルラントにおける武力を伴わない仲介にあるというのである。しかし実際のところ、プロイセンの外交担当者は共同した仲介行動の前提として実現不可能な賠償を請求していた。ルイ16世は10,000名から12,000名の軍をジヴェに集結させる、と脅したが、そのような準備が行われた様子はなかった。絶え間ない財政難によって、フランスはその後もネーデルラントへの進攻を実施することができなかったのである。その代わり、蜂起を準備するべくフランスからフリースラントへ密かに送られる傭兵や技術者の数は、さらに増えていった。フランスの目標は、再びパトリオッテンを出兵によって支援できるようになるまで同盟の申し出と厳しい威圧を交互に行い、プロイセンを引きつけ続けることであった。しかしフランスの戦略はプロイセンの宮廷に見透かされていたので、廷臣は1787年9月に進駐を開始する許可をプロイセン国王に求めている。賠償がどのような形を取るべきか、という表明がいまだになかったため、国王は妹に彼女が何を要求しているのか知らせるよう求めた。ウィルヘルミナはフランスの工作員がネーデルラントを去ること、パトリオッテンの権力を剥奪し、その武装を解除することとウィレム5世のホラント総督復職を要求した。さらにウィレム5世の帰還後も、プロイセンの支援下に総督としての職務に対する影響力の行使を望んでいたのである。
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