貿易庁長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 21:33 UTC 版)
1945年(昭和20年)12月15日、商工省の外局として設立された貿易庁の長官に1949年(昭和24年)12月1日に就任する。汚職根絶などに辣腕を振るい、商工省を改組し通商産業省(のち経済産業省)を設立した。その辣腕ぶりから「白洲三百人力」と言われる。 同年、日本最大・最新鋭の日本製鐵広畑製鉄所(現:日本製鉄広畑製鐵所)が、日本側に返還されることになった。白洲は外貨獲得のためにイギリス企業に売却を主唱するも、永野重雄の反対によって頓挫した。永野は「(広畑製鐵所を)取れなかったら腹を切る。将来の日本経済のため、製鉄業を外国資本に任せられるか」と啖呵を切ったとされる。 白洲は「俺はボランティアではない」が口癖で、イギリス留学時代の人脈をフルに活用し、主としてイギリス企業とアメリカ企業の日本進出時に代理人を務めた。
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