塚田公太とは? わかりやすく解説

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塚田公太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 03:24 UTC 版)

塚田 公太(つかだ こうた、1885年9月27日 - 1966年6月9日)は日本実業家東洋棉花会長、日本織物統制社長、貿易庁長官倉敷紡績社長、同会長等を務めた。藍綬褒章受章。

人物・経歴

新潟県出身。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業[1][2]三井物産ボンベイ支店員[3]等を経て、三井物産綿花部が独立した東洋棉花に移り、ムンバイ支店長、常務専務などを経て、1940年東洋綿花会長に就任[1][2]。1943年トヨタ自動車工業監査役[4]

日本織物統制社長を経て、1946年公職追放された三井物産出身の向井忠晴に代わり貿易庁長官についたが、その後公職追放となる[1][2]

1951年倉敷紡績社長。1955年倉敷紡績会長。日本経営者連盟(のちの日本経営者団体連盟)常任理事等も務めた[1][2]。1962年藍綬褒章受章[5]。1963年倉敷紡績相談役。1964年勲三等旭日中綬章受章[6]

著書

  • 『よしの髄 : 外遊漫想 』浅井泰山堂 1929年
  • 『亡友武内』浅井泰山堂 1934年
  • 『鷄肋集 : 敗戰から独立まで』經濟往來社 1953年
  • 『鷄肋集 第2』實業之日本社 1959年
  • 『鶏肋集 第3』実業之日本社 1965年

脚注

  1. ^ a b c d 「塚田 公太 ツカダ コウタ」20世紀日本人名事典
  2. ^ a b c d 「塚田公太 つかだ こうた」デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ 「減ってきた“子”のつく名前 名前のつけ方」吉田秀雄記念事業財団
  4. ^ 「歴代役員任期一覧(2012年6月時点)」トヨタ自動車
  5. ^ 官報 本紙 第10762号 729頁
  6. ^ 倉敷紡績(株)『倉敷紡績百年史』(1988.03)渋沢社史データベース
先代
権野健三
東洋綿花会長
第5代:1940年 - 1945年
次代
鈴木重光
先代
向井忠晴
貿易庁長官
第2代:1946年 - 1947年
次代
永井幸太郎



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