権野健三とは? わかりやすく解説

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権野健三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 07:13 UTC 版)

権野 健三(ごんの けんぞう、1881年明治14年)4月 - 1959年昭和34年)6月28日)は、日本実業家東洋綿花(現・豊田通商株式会社)代表取締役会長を務めた。

人物・経歴

大阪生まれ。茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)卒業後、三井物産綿花を取り扱い、1920年に三井物産綿花部が東洋綿花として独立すると、同社取締役に就任[1]上海紡織会長を経て[2]、1936年から東洋綿花会長を務めた[3]豊田利三郎豊田喜一郎、藤野勝太郎が保有していた豊田紡織株を東洋棉花が取得したことにともない、1937年豊田紡織の取締役に就任[4]。1943年トヨタ自動車工業取締役[5]。1959年藍綬褒章受章。同年死去[6]。趣味は狩猟囲碁陶磁器で、は飲まなかった[1]

脚注

  1. ^ a b ,志賀護, 「權野健三/172」 『興亜経済人読本』 (政治経済資料研究社, 1939), doi:10.11501/1275415(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 近代日本経済人大系. 第12巻(繊維工業篇)国立国会図書館
  3. ^ 「(株)トーメン『翔け世界に : トーメン70年のあゆみ』(1991.02)」渋沢社史データベース
  4. ^ 牧幸輝, 「豊田利三郎と豊田業団 -経営構想,企業家ネットワークと同族経営体制-」『経営史学』 46巻 2号 2011年 p.2_49-2_73, doi:10.5029/bhsj.46.2_49
  5. ^ 歴代役員任期一覧(2012年6月時点)トヨタ自動車
  6. ^ 東洋棉花(株)『東棉四十年史』(1960.11)渋沢社史データベース


先代
山崎一保
東洋綿花会長
1936年 - 1940年
次代
塚田公太



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