負傷と治療
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 14:17 UTC 版)
「アンナ・シェーファー」の記事における「負傷と治療」の解説
1898年、6月のある夜にシェーファーの前に聖人が現れて、天国からのメッセージを初めて受け取る。なお、シェーファーはこの聖人の名前を知らないとされる。内容は彼女が20歳になる前に長い苦しみが始まるというものだった。 1901年2月4日、シェーファーはシュタンムハムの森林にある家の洗濯場で、同僚と二人で作業をしていた。この時、洗濯場の壁からボイラーのパイプが修理のために取り外されていたため、その取り換え作業のためにシェーファーは突き出た低い壁に登る必要があった。その時シェーファーはバランスを崩して落ち、膝から上を洗濯機の熱湯で重度の火傷を負った。シェーファーはボイラーから助け出された後、7km先の最寄りの病院に担ぎ込まれた。深夜の11時から2時間にわたる手術を受け、翌週には壊疽した部分を細かく切り取る施術を受ける。その3ヶ月後シェーファーの加入していた医療費負担の支払いを停止し、入院治療ができなくなった。しかしカール・ヴァルディン (Karl Wäldin) という医師により、1901年8月から、ニュルンベルク近郊のエアランゲン大学付属診療所で治療を受けた。ヴァルディンはシェーファーに対し、30回以上もの皮膚移植手術を行った。しかし症状の悪化を止めることはできず、最終的に足に包帯を巻いてそれを毎週取り換える治療に留めた。ベッドで寝たきりとなり極度の貧困状態に陥ったシェーファーは、修道女としての将来を断念する。一方でミンデルシュテッテンの教区司祭であり彼女の精神的な導き手でもあったカール・リーガー (Karl Rieger) は、シェーファーの口から不平の言葉を決して聞いたことはないと述べており、またこの頃から彼女の守護天使を観ることができるようになったとされている。
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