負傷とサウジでの治療
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 10:20 UTC 版)
「2011年イエメン騒乱」の記事における「負傷とサウジでの治療」の解説
6月3日、反政府の部族の幹部が政府軍によって自宅を砲撃される。その後、大統領宮殿の敷地内にあるモスクが反政府勢力により砲撃され、正副の首相や国会議長、また大統領自身も負傷した。大統領には死亡説も流れたが、同日中に国営テレビに声だけ登場し無事をアピールすると共に、反政府の部族への攻撃を徹底するよう指示した。翌6月4日には同じく負傷したムジャッワル首相と共に治療のためサウジアラビアへの病院へ搬送され、副大統領のアブド・ラッボ・マンスール・ハーディーが大統領代行に就任した。こうした政治空白を突いてアルカーイダが実権を握らないよう、アメリカが反政府組織に対して攻撃を強化しているとも報じられた。 6月14日にはサーレハが滞在するサウジアラビアのアブドゥッラー国王と電話で会談し、順調に回復していると伝える一方で6月17日にはサウジアラビアの政府当局者が、サーレハがイエメンに帰国しないとの見通しを語ったと報じられ、イエメン外務省幹部がこれを否定するという事態になった。7月7日には入院中の姿がイエメン国営放送で流され、約1ヶ月ぶりに公の場所に姿を見せた。その中の演説で8回の手術を受けたことを明らかにし、反政府勢力との対話を呼びかけたものの自身の退陣には言及しなかった。サーレハとムジャッワルは8月6日に退院。ムジャッワルは8月23日に帰国し、サーレハは9月23日に帰国した。これにより再びイエメン国内で緊張が高まり、反政府デモにおいて軍による攻撃が行われ40人以上が死亡した。サーレハはサウジ滞在中の8月29日に大統領選挙を近いうちに実施する意向を表明していたが、帰国後には改めて辞任を拒否した。 ムハンマド・ナーセル・アリー国防大臣を狙った地雷テロが8月30日に、また自爆テロが9月28日に発生し、負傷者が出たがアリ国防相自身はいずれも難を逃れている。
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