谷水雄三 - 角居勝彦コンビ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:42 UTC 版)
「ウオッカ (競走馬)」の記事における「谷水雄三 - 角居勝彦コンビ」の解説
調教師ウオッカ、谷水関連の主な出来事戸山為夫 トウショウ牧場生産馬の管理、タニノハローモア東京優駿優勝 森秀行 戸山厩舎で厩務員、牝系トウショウ牧場のタニノシスターを見出す 松田国英 森厩舎で技術調教師、タニノギムレット東京優駿優勝 角居勝彦 松田厩舎で調教助手、ウオッカ東京優駿優勝 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 松田国英(左)森秀行(右) 谷水雄三の父、信夫が所有したタニノハローモアは、戸山為夫厩舎の管理により、1968年の東京優駿を優勝している。戸山は、トウショウ牧場生産馬を多く管理し、ウオッカの母であるタニノシスターの祖母(ウオッカの4代母)は戸山厩舎に所属していた。タニノシスターを抽せん会で見出した森秀行は、かつて戸山厩舎で厩務員をしており、独立して調教師となっていた。また森厩舎では、松田国英が技術調教師として修業した。松田厩舎では、厩舎初出走および初勝利が雄三所有の競走馬であった。そのうえ雄三が所有したタニノギムレット(ウオッカの父)は、松田厩舎の管理により、2002年の東京優駿を優勝した。さらに松田厩舎にて調教助手を務めていたのが角居勝彦であった。そして角居が調教師に転じた際には、厩舎開業時のお祝いとして、谷水からタニノシスター産駒タニノコロネションが贈られ、角居とウオッカは出会った。 ウオッカの進路は、谷水と角居の話し合いにより決められていた。ローテーション、東京優駿出走、ルメールへの乗り替わり、引退決定などの重大局面では、二人とも同時に同様なことを考えており、その関係性を谷水は「一卵性双生児」のようだと表している。 谷水は、ウオッカのような名馬に再び出会うことはないと考え、ウオッカにとって最適な選択を求め続けた。中でも、引退時期の検討は、5歳春、2回目のドバイ遠征に本格化した。長期滞在を行い、前哨戦を経てドバイデューティフリーに出走。前年はぶっつけで4着だったことから、谷水はそれ以上の成績を期待していたが7着敗退、谷水は帰国の空港内で倒れるほど気落ちした。谷水は、サラブレッドの発情期間に重なっていたことから、敗因をウオッカ自身が「お母さんになりたがっているのかな」と捉えていた。そして帰国初戦のヴィクトリアマイル優勝後には、年内引退を宣言。調教助手の岸本教彦からも「お母さんになりたがっている」という証言も得られた。また谷水によれば、角居も同様に考えていたが、谷水への報告を躊躇していたという。しかし安田記念優勝後には、武の「ウオッカはまだまだ進化する」との証言を受けて年内引退を撤回した。 3度目のドバイ遠征では、ドバイワールドカップ参戦に向けた前哨戦のマクトゥームチャレンジラウンド3出走後に、2度目の鼻出血を発症。阪神競馬場にて、谷水と角居が会談し合意の上で、ウオッカの引退が決定した。2010年3月7日、角居厩舎所属のヴィクトワールピサが弥生賞(GII)勝利直後の中山競馬場にて、角居が記者会見を開き、引退を発表した。ヴィクトワールピサは後に、ウオッカが出走できなかったドバイワールドカップを日本調教馬として優勝している。
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