議会政治・自由民権運動についてとは? わかりやすく解説

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議会政治・自由民権運動について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:54 UTC 版)

福澤諭吉」の記事における「議会政治・自由民権運動について」の解説

諭吉明治12年1879年)の『民情一新』の中で、「現代において国内の平和を維持する方法権力者長居しないで適時交替していくことであるとして、国民投票によって権力者変わっていくイギリスの政党政治議会政治大い参考にすべし」と論じた国会開設時期については政府内で最も強く支持されていた「漸進論に賛成する」と表明しつつ、過度に慎重な意見は「我が日本開国二十年の間に二百年の事を成したるに非ずや。皆是れ近時文明の力を利用して然るものなり」「人民一般に智徳生じて然る後国会を開くの説は、全一年間一日雨天なき好天気待て旅行企てるものに異ならず。到底出発の期無かるべし」「今の世在りて十二年前王政維新尚早しと云はざるものは、又今日国会尚早しの言を吐く可きにあらざるなり」として退けている。 ただし、諭吉国内闘争よりも国外日本国権拡張させることをより重視し、「内安外競」「官民調和」を持論したため自由民権運動興じる急進派には決し同調せず、彼らのことを「駄民権論者」「ヘコヲビ書生」と呼んで軽蔑しその主張について「吠ゆるに異ならず」と批判した。『時事小言』の中で諭吉は「政府国会開いて国内安寧図り心を合わせて外に向かって国権張るべきこと」を強調している。 また諭吉明治14年1881年)にロンドン滞在している慶應義塾生の小泉信吉送った手紙には「地方処々演説所謂ヘコヲビ書生連中、其風俗甚だ不宜(よろしからず)、近来に至ては県官を罵倒する等は通り過ぎ極々極度に至ればムツヒト(=明治天皇云々発言する者あるよし、実に演説沙汰の限りにて甚だ悪しき兆候斯くては捨置難き事と少々づつ内談いたし居候義に御座候と書かれており、皇室への不敬な姿勢などの自由民権論者の不作法許しがたいものがあったようである。

※この「議会政治・自由民権運動について」の解説は、「福澤諭吉」の解説の一部です。
「議会政治・自由民権運動について」を含む「福澤諭吉」の記事については、「福澤諭吉」の概要を参照ください。

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